
サンタクロース問題
突然ですが、子どもの頃「クリスマスにサンタさんがプレゼント持ってきてくれる」ってイベント
ご家庭でやってましたか?
うちはやっていました。
個人的な経験ですが
「私の親が私に嘘つくわけない!サンタはいるんだ!(でも嘘っぽい・・・)」
という「信じたい」思いと
その後に訪れた
「やっぱり嘘だった!(子ども扱いされてたんだ・・・)」
という「裏切られた」ような思いと、
その両方があったので自分の子どもに対してはどうしたらいいのか、悩ましいところがありました。
そこで「誰かに相談してみよう」と思い立ったこと、結局どうすることにしたか、書いてみようと思います。
突然の「サンタさん。」
実は去年も「クリスマスに目覚めると枕元にサンタさんからのプレゼントが!」というイベントはやったのです。
ですが1歳3ヶ月にはよくわからなかったようで、残念なような、ホッとするような気持ちで流していました。
今年も12月。
サンタ問題、どうするかな〜と考え始める間も無く2歳3ヶ月が
「さんたさん ぷれぜんと いーさんけいつばさ もらう」
とのたもうた。
4月から入園した保育園で覚えてきたのであろう。
もう逃げられない。
そもそも「サンタクロース」って何?
Wikiによるとこういうことらしい。
サンタクロース(英: Santa Claus[1])は、クリスマス・イブに良い子のもとへプレゼントを持って訪れる人物。子どもに夢を与える。
https://ja.wikipedia.org/wiki/サンタクロース
抽象的!
さらに読み進めていくと国々で色々、多様すぎて何が何だかわからなくなっていく・・・
悩む
何が悩ましいかというと、子どもの理解度はこちらには計り知れないので、今まで様々なことについてちょっと難しい言葉になろうとも正直に話してきました。
それが絶対よい!と思っている訳ではありませんし、反応はあったりなかったりですが、赤ちゃんの頃からずっとそうしてきました。
それが、親にとっても何が何だかわからないものでgoogleに訊いてもなおよくわからないもの、しかもいつかは絶対にバレる嘘をつこうとしているのです。
何か取り返しのつかないことをしようとしているのでは・・・と思えてきます。
そして冒頭にも書きました私自身の経験。
なんとなく「親離れのきっかけ」にもなりましたが、それ以前に「なんか子供扱いされてたんだ〜(がっかり)」という思いのほうが強かったのです。
大人同士でも嘘や隠し事が楽しいパターンがあるなら、それはサプライズ的なもので明かした後にもたらされる喜びの大きさが勝る場合だと思っています。
とすると「サンタが親だってわかったとき果たしてうれしいか?うれしかねーよ!」と思ってしまうのでした。

(子どもに選んでもらいました)
そうだFacebookだ
保育園の先生に相談するか、とも思うもただでさえ忙しい先生たちにそんなこと相談すべきか?めんどくさいのでは?
第一、「サンタさん」も「プレゼント」も保育園で教わってきた言葉です。
お迎えに行くと、ツリーには飾りが輝きクリスマスソングが流れています。
ここで「くりすますはやっぱりさんたさんしたほうがいいデスカ??」は無粋でしょう。
うーむ、できればたくさんのサンプルが知りたい。
でも育児掲示板じゃバックグラウンドが見えないし、きっと想像しきれない。
という訳でFacebookにお友達のみ公開で子どもの最近の写真とともに投稿してみました。
FB友だちに訊いてみた
こんな感じで投稿してみました。

あっという間に100を超える👍や🤣や❤️、コメントやメッセージもたくさんいただきました。
私はFBには父親業・母親業の先輩もFBには多いと感じていたので
「サンタご経験者さま、実際のところどうなんすか?」
と尋ねました。
ですが父親・母親としてではなく子ども時代の自分(被サンタ経験者)の話をコメントしてくださる方も多く、これが案外私の思考を助けてくれました。
「サンタの存在」想像以上の多様性
コメントには想像以上に多様な話題が上がりました。
自身が親としてのサンタ経験では
- お嬢さんとの楽しい思い出
- おもちゃの下見に行くと安物を勧めてくるので疑うようになった
- 一緒に暮らしている兄弟でも「サンタ信じるか」は全然違った
- 子どもが小さい頃はでっかい靴下つるしてたよ
- 信じなくなってからは親からプレゼント
- 本当のことを知ったとき泣いた
- 幼稚園くらいになるとまわりで「サンタいない」という子が出てくる
自身が子どもの頃の被サンタ経験では
- 自分が子どもの頃「サンタがプレゼントをくれる」という設定がなく親にもらっていた
- 親戚にもらっていた
- 一時的に「枕元に靴下」をやらされたが反応悪く「親からプレゼント」に変更された
自分自身の思いに気づく
いただいたコメントやメッセージの中でたくさんの気づきがありました。
サンタクロースは過剰な情報?
メッセージで
「情報過剰なのは害悪でしかない」
「サンタもディスニーもアンパンマンも小さな子どもには必要ない」
というご意見もいただきました。
これには賛成する部分もあり、反対な面もありです。
子どもを見ていると、いつも世界に向かって探索をしています。
- ずっと水遊びをしてやめない
- 毎度自転車のペダルを回してギアとタイヤの動きを確認する
- 砂つぶや石ころを拾っては観察
- 月が雲に隠れたり出てきたりする様子を常にレポート
これらこそが幼少期の大切な経験であろうし、テレビアニメは確かに害悪かも知れません。
ですが、わたし自身が「アニメ」「マンガ」「ゲーム」の三大ジャパニーズカルチャーを苦手としていて「是非とも幼い頃からネイティブで触れていたかった!」という思いが強いので雑多な情報も「無理に排除するもんじゃない」と結論づけています。
そして「育児については理想だけど、この世の中は理想郷ではないしな・・」
と思う面も。
サンタは親だった、と知るとき
息子さんが「サンタは親と知ったとき泣いた」というご経験をご教示くださった方は「サンタはお父さんとお母さんでも悪くないものでしょう?」と説き伏せたそうです。
私はこのコメントを読んだときハッとしました。
確かに
「お父さんとお母さんが毎年欲しいものを探ったり買ってきたり、こっそり隠しておいたり、色々と試行錯誤してくれていたんだ!」
と思うと大人になった今は素直に「うれしい」と思えてきます。
私はそれまで子どもの頃の親に対する懐疑心や釈然としない思いが強く、ものごとの本質が見えなくなっていました。
このサンタ問題、「子どもに対する問題」と意識していたのですがそうではなく「私自身の問題」だったのです。
つまりは「私がまだ子どもだった」ということですね。
結局「サンタさんからのプレゼント」やることにした!
というわけでやることにしました。
- 24日までに靴下を用意して
- クリスマスソングなんかも歌っちゃって
- ケーキを一緒に作って
- クリスマスの絵本もあってもいいかな
大忙しですね。
親のエゴ、子どものエゴ
先述のメッセージをくれた友人はサンタのことを
「なんか赤い服きた人よくいるね〜とか流して(以下略)」
とご教示くださったのですが、私にはそれにも抵抗があります。
だって「私はサンタがよくわからないにしろ私たちが生活しているこの巷ではどう扱われているものかある程度は知っている」から。
私はそれをシェアしないことも不誠実な気がしてならないのです。
それもまた、私自身が子どもの頃そうされることは「子ども扱いしてる」「私を認めてもらえてない」と感じていたことに起因しています。
私は子どもが「信じていたサンタが親だってわかったとき」をずっと恐れていましたが、
- 「保育園のクリスマスの行事をみんなで楽しんでいるのが素敵だったからおうちでもプレゼントすることにしたよ」
- 「お母さんも子どもの頃、枕元にプレゼントがあったよ」
- 「お父さんもお母さんも毎年よろんでくれそうなものを探したよ」
正直に伝えればいいだけのことなのかも知れません。
「親のエゴ」と「子どものエゴ」、
もちろんまともにぶつかれば親のエゴは子どもを押さえつけてしまいます。
なので「子ども」により配慮する必要があるのは当然です。
ですが「親のエゴ」って消せるものではないですよね。
どんなに子どもを優先したって隠したって子どもに影響が出ないはずがありません。
親子は「親と子」でもありますが「人間と人間」と私は考えています。
どちらにも都合があり、好みがあり、願望があります。
それをお互いに知っていく過程も、これからほかの他人と出会っていく中で役に立つこともある気がするんですよね。
というわけで、親のエゴですが今年は「サンタさんになります」。
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